正常な状態への回復も期待できる『軽度認知障害』
日本では、高齢者の約8人に1人が認知症、約6人に1人がその前段階である軽度認知障害と推計され、今後、患者数は増え続ける見込みです。高齢になるとだれでも認知症になるリスクがありますが、軽度認知障害の段階で気づいてライフスタイルを見直せば、認知機能の低下を防げる可能性があります。最近では、軽度認知障害などが対象の新たな薬も登場しています。軽度認知障害の改善法と治療について知っておきましょう。
東京都健康長寿医療センター センター長
秋下 雅弘 先生 (あきした・まさひろ)
1985 年、東京大学医学部卒業。スタンフォード大学研究員、ハーバード大学研究員、杏林大学医学部助教授、東京大学大学院医学研究科老年病学准教授、同教授などを経て、2024 年4 月より現職。日本老年薬学会代表理事、日本老年医学会理事なども兼務。専門は内科学、老年医学、老年薬学、性差医学。『目で見てわかる認知症の予防』『ぜんぶわかる 高齢者のからだと病気』(いずれも成美堂出版)など、監修書・編著書多数。
認知機能の低下はあるが 生活に支障がない状態
認知症とは、認知機能の低下によって、日常生活に何らかの支障が出ている状態です。軽度認知障害(MCI)は、その前段階です。認知機能の低下は生じているけれども、日常生活が支障なく送れているのであれば、軽度認知障害とみなされます。
厚生労働省の研究班の推計によれば、2022年時点で、65歳以上の高齢者の約6人に1人が軽度認知障害です。高齢になるほど、軽度認知障害や認知症になるリスクは高まります。
日常生活には支障が出ていないとはいえ、軽度認知障害の状態になると、脳内の細胞レベルですでに変化が起こっています。軽度認知障害が注目されているのは、神経細胞に病的な変化が生じても、正常な状態に戻るケースが少なくないからです。一方で、軽度認知障害から認知症に進行してしまうこともあります。認知機能を正常な状態に戻したり、認知症への進行を遅らせたりするためには、この段階で対策を講じる必要があります。
軽度認知障害や認知症の症状として最初に出やすいのが記憶障害です。だれでも年を取ると忘れっぽくなり、人の名前や前日の食事の内容などが思い出せないことがあります。しかし、軽度認知障害や認知症の記憶障害が通常のもの忘れと違うのは、体験したことの一部を忘れるだけではなく、体験した行為自体を忘れてしまう点です。たとえば、朝食に何を食べたか忘れるのは単なるもの忘れですが、朝食を食べたかどうかがわからないというのは、病的な記憶障害である恐れがあります。
身だしなみの変化が サインになることも
記憶障害より先に、見当識障害、実行機能障害、理解・判断力障害などが現れることもあります。見当識障害とは、時間、場所、人との関係などを認識する機能が低下することです。この障害が生じると、日付や曜日、方向などがわからずに混乱したり、自分の置かれている状況を正確に認識できないため、映画の上映中など静かにすべきところで大声で話したりします。
実行機能障害は、何かを計画したり判断や段取りをつけたりする機能の低下です。電車の乗り換えがわからなくなったり、料理はできても同じものばかりつくったりすることがあります。理解・判断力障害は、考えるスピードが遅くなり2つのことを同時にできなくなったり、よい行動か悪い行動かを判断できなくなることです。同じ食材を大量に買ったり、整理整頓やゴミの分別ができなくなったりします。
日常生活に支障がないように見えても、これまでできていたことができなくなったら、軽度認知障害かもしれません。慣れている道で迷う、待ち合わせの時間や場所を間違える、見だしなみを気にしなくなる、季節に合う服装ができなくなるなどといったことがサインになることもあります。
自分あるいは家族が、軽度認知障害や認知症かもしれないと思ったら、かかりつけ医や「もの忘れ外来」「認知症外来」などがある医療機関を受診しましょう。軽度認知障害または認知症かどうかは、ミニメンタルステート検査(MMSE)、長谷川式認知症スケール(HDS-R)といった神経心理学的検査と脳の画像検査の結果などから、総合的に判断します。うつやせん妄でも似たような症状が現れるので、ほかの病気との鑑別診断も必要です。
家庭で簡単にできるのが、Mini - Cog(ミニコグ)(下コラム)と呼ばれる簡易認知機能スクリーニングテ
ストです。ただ、軽度認知障害や認知症の初期の場合、本人も認知機能の低下を自覚して、不安になったりイライラしたりしていることが少なくありません。ミニコグをやるときは自尊心を傷つけないように注意し、本人が嫌がったら強要は避けましょう。
認知機能の低下がみられるのに本人が受診を嫌がる場合には、かかりつけ医に相談するか、「年齢的に脳梗塞も心配だし、脳の検査を受けてみたら」と提案し、脳のMRI検査ができる医療機関を受診する方法もあります。
運動と社会生活維持で 認知機能の改善を
軽度認知障害になったとしても、活発に動き、孤立を防いで社会生活を維持することによって、2〜3割の人は認知機能が正常な状態に回復します。軽度認知障害の日本人を対象にした研究によると、回復の可能性が高まったのは、「地図を調べて見知らぬところへ行く」「本や新聞を読む」「習いごとをする」「地域の会合への参加」「自動車の運転」「趣味やスポーツ」「庭仕事や畑仕事」などを続けたときです。地域の認知症予防教室や介護予防教室などに参加するのもよいでしょう。
また、認知症へと進行するのを防ぐためには、日常生活の中で積極的に体を動かすことが大事です。座りっぱなしの生活をやめ、ウオーキング、速歩とゆっくり歩きを交互に繰り返すインターバル速歩、水中歩行などの有酸素運動を週3回以上行いましょう。
国立長寿医療研究センターが開発した、運動と脳トレを組み合わせた認知症予防運動プログラムコグニサイズ(下コラム)を軽度認知障害の段階で実施することで、認知機能の低下が抑えられることが明らかになっています。
コグニサイズとは、認知を意味する英語コグニション(cognition)とエクササイズ(exercise)を組み合わせた造語です。
最も手軽にできるのは、よい姿勢で速歩きをしながら、1人あるいは家族や友人と一緒にしりとりをするというコグニサイズです。100から3や5など一定の数を引いていく計算と速歩きを組み合わせるコグニサイズもあります。認知機能の低下を防ぐには、少し息が切れるくらいの有酸素運動と、ときどき間違える程度の難易度の脳トレを組み合わせるのがコツです。
食事については、これを食べれば認知機能が向上するという特定の食べ物はありません。現時点で認知症予防効果があるとされているのが、野菜、オリーブオイル、ナッツ、全粒穀物などをふんだんにとる地中海食です。ふだん食べている和洋折衷の食事を基本に、塩分は控えめにし、多種類の野菜を使ったサラダなどにオリーブオイルをかける、ごはんは玄米、胚芽米、雑穀米などに切り替えるといった工夫をするとよいでしょう。
高齢になると食が細くなりやすいのですが、低脂肪、低たんぱく、低栄養は認知機能の低下につながります。肉、魚、大豆製品、卵など良質のたんぱく質をしっかりとりましょう。
糖尿病、高血圧、脂質異常症も認知機能低下を促進する要因になります。これらの病気の治療に取り組むことも大切です。
軽度認知障害に対する 2種類の新薬が登場
アルツハイマー病による軽度認知障害または初期のアルツハイマー型認知症の人の一部は、アルツハイマーの原因であるアミロイドβという異常なたんぱく質を取り除く作用がある注射薬のレカネマブによる治療も選択肢です。さらに、ドナネマブという薬も2024年9月に承認されました。これらの薬による治療が受けられるのは、前述のMMSEが基準値以上で、なおかつ、アミロイドPET検査などで脳内にアミロイドβの蓄積が確認された人です。
レカネマブは2週間に1回、ドナネマブは4週間に1回、点滴投与する薬です。ただし、どちらの薬も副作用が出ることがあり、認知機能の低下を劇的に改善したり食い止めたりできるような夢の薬とは言えません。効果と安全性がさらに高い薬の登場が期待されます。
世界的権威のある医学誌のランセット(Lancet)は世界中の研究を基に、14の危険因子を取り除けば、認
知症の発症リスクを45%減らせるという最新の報告書を2024年8月に公表しています(上表)。アルツハイマー型認知症が男性より女性に多い原因は不明ですが、中年期の女性の運動不足や睡眠不足、うつが多いことが関係している可能性もあります。
難聴がある場合には補聴器や集音機を使用する、視力が低下したら白内障など目の病気を治療するなど、これらの危険因子を取り除くようにしましょう。耳や目から入る情報が少ないと、人とのコミュニケーションにも支障が出ます。周囲の人や社会との接点を持ち続けることが、軽度認知障害の改善や認知症予防につながります。
ライター 福島 安紀
※ コグニサイズについてもっと知りたい人は、
「コグニサイズー認知症予防に向けた運動」(国立長寿医療研究センター) を参照